他人に自分の人生を決めさせるな!

まいど、みさきです。

最近はAmazonのオーディオブックや本を読みまくっております。

というのは前回記事「インベスターZが神すぎた件」でも話しました。

 

1日3冊が目標だけど、できてねーな(笑)と思いつつ、完璧主義になって挫折するよりはマシなので、今後は徐々に増やしていくぞ。

ちょと近況を動画にしました。

 

相変わらず「Amazonのオーディブルはいいぞww」と同じことばかり言ってますが、本当にいいです。

パソコンで作業しながら…ていうか、今この記事を書きながらオーディブル聞いてます。

ダラダラ流して聞くだけでも、家の中でテレビつけっぱなしで流してるような感じで、情報が脳みその飛び込んできます。

また、Amazon繋がりですが、電子書籍のKindle(キンドル)も読んでます。(もちろん書籍も買って読んでます)

 

読書はほんといいです。私が読書がいいと言える理由なんですけど、小学生2年生の頃に読書しまくってたんですよね。わたし。

 

もちろん、難しい本じゃなくて、子供でも読めるようにイラストやマンガが取り入れてある、学研の「ひみつシリーズ」です。

最初にそういう本を読んだのは小学2年生の1学期で、「からだのひみつ」っていう本を2日くらいかけて読みました。

心臓はどういう動きをしているとか、肺はどう動いてるとか、筋肉はどうとか…

そういう理科で学ぶような基本的なことをマンガで説明してる本です。

小学生にとって「理科」って3年生から学ぶので、当時2年生だった私にとっては「飛び級」にも似た感じで、「上級生の勉強をしてる!」という特別な気持ちもありました。

いや、もちろんマンガだったので純粋に「娯楽」で読んでたんですけどね(笑)

 

小学生の学習で学ぶことって、学校の図書館に行けば全部学べるくらいの範囲の狭いことなんですよね。

だから、海外では7歳で大学に入る人スーパーチルドレンがいて驚かれたりするけど、普通の人でも7歳で小学6年生くらいの勉強はできると思う。

 

やる気があれば…ですけどね。

 

話が脱線した。

そんな風に、本はたとえマンガだったとしても「多くの情報」を早い段階で効率よく手に入れるツールだと思うんですよね。

年齢にはそぐわないような知識も手に入れることができるし、学校では学ばない、教えてもらえないような昔の日本の知識…軍隊とか、文字とかも図書館に行けば学べました。
 

(※小学生の頃に昭和初期のマンガ「のらくろ軍曹」を読んでました)

 

なんにもしてない状態だと、自分の友達とか、親が知っている知識や文化、常識しか知らないで育つと思うんですよね。

親が頭わるいと、自分も頭わるくなっちゃうし、自分と同じレベルの人間とばかり付き合っていると、現状維持で成長は見込めないというか。

 

学校の先生も、学校の授業に関してはプロだから詳しいしいろいろ知ってるけど、それ以外の情報はシロウトです。

つまり、知識が限られているし、世界が狭い感じ。

一人の先生に学びっぱなしだと、その先生の知っている世界しか知ることができない。

 

本を書いている人は、その道に長けた人が書いてるだろうし、1冊読めば一人の人間の世界の一部が学べる。

2冊読めば2人。

1年間で100冊の本を読めば、その道のプロ100人から学べるというイメージ。

学校にただ通っているだけなら、学校の先生…担任とか体育の先生とか、音楽の先生とか、親、家族、友達、親戚くらいに限られるかも。

 

本を読んでたら、それプラス読んだ本の数だけの知識を仕入れることができるワケで、広い知識と広い視野を育てることができる。

 

 

小学生の頃、わたしは学研の本にハマってたワケだけど、学校に置いてある学研の本は、昭和に書かれたもので情報が古かったりする。

今の情報と違うから、学校の授業で習ったものと少し内容がズレてたりすることもありました。

そんな時に「せんせい!それ違うんじゃ?」と質問したら「いいや、合ってるよ」と応えられたりする。

 

そうすると「アレ?違う?」となりますよね。

「あの本は嘘ついてたのかな?」とか。

 

そうやってものごとを「疑う」ようになるワケですが、この「疑う」ということがけっこう大事だったりする。

情報を鵜呑みにしないで、いろんな情報と比較して、自分で判断する。

 

という能力が育つと思います。

実際にわたしもそれで学校の先生が言ってること、なんか違わね?と更に本を読んで調べるようになったりしました。

 

「疑う」ことはけっこうよかったりします。

これは自分自身にもあてはまってて、「いま、私はこれを信じてるけど、これって本当に合ってるのかな?」と自分を客観的に判断しようとするきっかけになるからですね。

間違っていることをやってれば改善のきっかけにもなるし、再確認することで、自分が勘違いしてた部分に気づけたりする。

そうすると、更に知識を増やすことになったりする。

 

MTFの話にあてはめると

 

「肩幅が広くて嫌だなぁ」と思っていた自分に、「肩幅が広いって本当にダメなのかな?」と疑問をなげかけることも大事だし、それは自分の主観的な思い込みだったことにも気づけます。

 

「親が髪の毛切れ!とうるさいので泣く泣く髪の毛を切ることにしました…」

「親が反対しているので、行動できません、どうしたら説得できるんでしょうか?」

「性転換してないので、改名はまだ先になりそうです」

 

はたして本当にそうなんだろうか?

 

親の言うことを守らなくたっていいし、嫌なら髪を切る必要もないと思う。

親が反対していても自分が本当にやりたいことがあるなら、反対されながらでもやればいいと思う。

親を説得しなければ自分のやりたいことは達成できないのだろうか?

改名って性転換後じゃないとできないの?性転換前にやってる人はいないのか?

 

そうやって、「疑ってかかる」と新たな道がひらけることもあります。

 

私の例だと、「SRSしても女性になれるワケじゃない、戸籍を変えても元男という事実は換えられない」と思い込んでました。

「でも、女性になることがなによりも一番いいことなのか?生殖機能も含め、女になれなければ意味はないのか?」と自分を疑うことで「ニューハーフな自分だけが持つ価値があるのでは?」と客観的に考えられるようになりました。

 

そのほかだと「身長が高くて女には見えないよな」とか「体格が良すぎてパスできないよな」という思い込みもそうかな。

「身長が高いと女として認められないのか?」

「体格がいいと女ではないのか?」

と、「疑う」ことで、実はそうじゃない。私よりも身長が高い女性もいるし、十分女性で生活してるじゃないか。

身長も体重も私よりゴツい女性だっているじゃないか。

と、気付けるようになりました。

 

「そういう客観的な視点を持とうと思っても、なかなかできません」

という意見も正直あるとおもう。

客観的に自分を見ようと思ったら、広い世界を知らないとできないと思う。

俯瞰(ふかん)するとか、俯瞰して見るともいうけど、「俯瞰」は「高いところから見下ろす」という意味だから、高い位置までのぼらないと俯瞰はできない。

 

日本のことを客観的に見たいなら、日本以外のことを知らないと行けないし、自分のことを俯瞰して見たいなら、自分以外の人間を知る必要がある。

自分のことだけ見てても俯瞰はできない。

 

私もまだまだ主観的で視野が狭いことがたくさんあるので、またまた最近は読書しているという感じです。

 

いま読んでる本は、ホリエモンさんの「ウシジマくんVS.ホリエモン 人生はカネじゃない!」という本です

ホリエモンの本はとにかく

「行動が大事」

「馬鹿はダメだから賢くなれ」

「もっと広い世界を知れ」

というメッセージ性が込められているなぁと私は感じてます。

 

いま読んでる他の本に、水島広子さんという精神科医が書いた「『他人の目』が気になる人へ」があるんですけど。

この本も「『他人の目』にとらわれるということは、人を気にしているようでいて、実は強烈に自分自身のことばかり見ているということ。」という文面があります。

 

やっぱり、なんつーか、自分のことばかり見て、視野が狭くなってるんだなと感じました。

視野がせまいと上手くいかないことがたくさん出てくるんだけど、一歩距離を置いて視野を広くすると、問題が解決するのかなと。

 

もちろん、一歩と言わず、「俯瞰」して見てほしいですが、いきなり俯瞰するのは難しいって人は、とりあえず「一歩」ですね。

この「一歩」を踏み出せる人がなかなかいないとホリエモンこと堀江貴文さんは言ってます。

 

やっぱ、一歩踏み出すのって難しいんです。

だから、その最初の一歩をとにかくハードル下げて1センチとか、1ミリメートルくらいにしておくといいです。

 

「ちゃんとやらなきゃ」とか「しっかりしよう」とかは絶対ダメ。逆にダメ(笑)

ハードル上げすぎなので、「とりあえず動く」「動くフリでもいいかも」くらいハードル下げておくと、最初の一歩が踏み出しやすいです。

 

家庭教師でも学校教育でも「ちゃんとやる」とか「しっかりしよう」みたいな完璧主義な価値観を学んだと思いますが、完璧にできないから「やらない」っていう選択は「テキトーにやる」より酷いです。

「まったくなにもやってない」ってことだから本当に酷い。

 

「50歩100歩」ということわざがありますが、1ミリでも進んでれば100メートル進んでる人と似たもの同士ってことですよね。

全く動いてないよりは遥かにマシなんです。

だから最初の1歩をとにかくハードル下げる。

 

そうすれば、「才能も技術も知識もなくて、行動力もなく、何をやってもダメな私」でも動けます。

 

ダメだから・・・「やらない」

じゃなくて

ダメだから・・・「ダメな私がやれる方法は??」

という考え方の方が生産的かなと思うのです。

 

ダメでいいし、クズでも馬鹿でもいいので、馬鹿でもクズでもどうしようもない人間でも「できる」方法から取り組めばOK

というワケです。

 

 

本日のまとめ。

読書はいいぞ。

 

もちろん、行動しないと無駄 無駄 無駄ァ!だけどね。

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スザみ
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2011年からGID-MTF向けに性別変更情報とサポートをしています。今まで性別変更された方は数十名、手術をした方々は合計120名を越えました。おかげさまで「女性として生活できるようになりました!」との意見もたくさんもらえています。女性で生きるだけではなく、人生を楽しく豊かに生きるための情報も発信中です。ご連絡はお気軽に。スザンヌみさきへの連絡フォーム